2014-03-01

長谷川三千子『民主主義とは何なのか』 第一章 要約

長谷川三千子『民主主義とは何なのか』  2001年文春文庫

(要約)
第一章 「いかがわしい言葉」 デモクラシー
 われわれが知っているのは、単に民主主義が掲げてみせるいくつかのスローガンにすぎない。われわれは、自分たちもよく知らないイデオロギーを、何の吟味もなく受け入れている。この百年間わたしたちは、知的怠惰の中にいた。

 成熟しないフランス人によって、時にはジェノサイドの様相を呈するほどの惨禍をもたらす恐怖の革命は、デモクラシーの名のもとに繰り返された。
 デモクラシーは、社会主義の温床でもあった。
 共同体的生活の破壊はデモクラシーに潜む本質的問題点の一つである。

 民主主義が正当な言葉に突如なったのは、第一次大戦において戦勝国が正当化の根拠として、このイデオロギーを使ったからなのだ。
 ヴェルサイユ条約によって世界大戦開戦の戦争責任をドイツ皇帝一人が背負うことになった。

 もしも人々が、知的欺瞞にとらわれることなく、客観的事実をありのままに見たならば、第一次大戦を引き起こした原動力は、ほかならぬ「民主主義=デモクラシー」と呼ばれる原理と現象の内にあったことに気付いただろう。
 「どこの国でも君主がもっとも戦争に消極的で下へ行くほど好戦的傾向が増大し、大衆が自発的に戦争準備に入ることを押しとどめる力は君主たちにはなかった」(入江隆則)民主主義の大洪水の中で、民衆が自らの意向で戦争に飛び込んでいった。
 ヴェルサイユ体制の核心部分であるワイマール憲法は戦勝国に押し付けられた民主主義という欺瞞のイデオロギーであり、理性を持ったドイツ国民にとっては耐え難い屈辱だっただろう。その屈辱の果てにニヒリズムを育て上げたドイツはもう一度、民主主義の大洪水、ヒトラーのナチズムに見舞われることになる。

 民衆の熱狂を煽り立てたヒトラーは最もデモクラシー的な指導者だったのである。彼は自ら堤防を爆破して「民主主義の大洪水」を引き起こした。これを人々はナチズム、あるいはファシズムと呼ぶ。しかしその正体は何かと言えば、フランス革命以来一貫して変わらぬ「抑制のないデモクラシー」に他ならないのである。
 ナチズムがある意味民主主義に依拠していたことに目をつむり、異常性を強調することで「(正義の連合国)民主主義 対(悪の枢軸国)ファシズム・ナチズムとの戦い」という図式を戦勝国は第二次世界大戦全体に当てはめた。

 「大東亜戦争」は、ごくありふれた「強力な国家の圧迫に対する弱い国家が反撃に転じる」というメカニズムで起こった自衛の戦争であった。戦争当時の日本においては人間一人一人が、民主主義的な大衆的熱狂に囚われることなく人間として尋常に振舞っていた。ヒステリーやパニックといった精神の病理とは無縁の人々の態度を可能にしたのは「民主主義」でなかったことだけは確かであった。

 おそらく、理性的な目をもった宇宙人が現在の地球を見るならば、世界全体を民主主義という言葉をいかがわしいとも胡散臭いとも思わなくなったこと自体が、現在の世界のいかがわしさである、と言うに違いない。


----以上、民主主義擁護の立場からではなく、著者の言わんとしたことにできるだけ忠実に要約したつもりである。言葉遣い・引用は原文そのままではない。孫引きには適しません。

第二章 「われとわれとが戦う」病い
第三章 抑制なき力の原理 国民主権
   国民に理性を使わせないシステムとしての国民主権
   惨劇を生み出す原理--国民主権
第四章 インチキとごまかしの産物 人権
   義務なき権利
   独立宣言のインチキ
   革命のプロパガンダとしての人権
   人権 この悪しき原理
   とどまるところを知らない「人権」の頽廃
結語  理性の復権




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